続々々・教授の真夏
- 2013/08/12
- 02:00
「ど、どちらさまですか?」と書いたところで、わたしはほとほといやになっていた。いったい誰が読み続けてくれてるだろう。こんなもの、わたしだって読み返さないかもしれない。だが、そもそも読者など気にせずに自由に書きたいという望みから始めたことではなかったのか。それならば、誰が読もうが読まぬが、関係のないことではないのか。どちらにせよ、乗ってしまった船から降りることはもはや不可能だった。読者からは自由にな...
続々・教授の真夏
- 2013/08/12
- 01:00
あたりが暗くなり静けさが闇を包むころ、スポットライトを浴びて壇上にひとりのギタリストが浮かび上がった。ジェームス・タイラーから繰り出される適度にディトーションの効いたのびやかな音が、「さくら」のメロディを奏でた。「鳥山さん……」稔は大きな口を開けたままスクリーンを見つめていた。二十年以上前になるが、稔は鳥山の指導を受けたことがあった。まだ学生でプロの音楽家を目指していたときのことである。当時、すでに...
続・教授の真夏
- 2013/08/04
- 01:45
稔(みのる)は、7月24日分のブログ更新について悩んでいた。といっても稔自身のブログではない。世界的に高名だとかいう大学教授のブログを、稔はアルバイトで代筆しているのだった。ただし、教授と名乗るその人物とは一度も会ったことがないし、その人物の本名も知らない。そもそも、その人物が本当に世界的に高名なのか、はたまた本当に大学教授なのかさえ疑わしかった。だが、そんなことは稔にはどうでもよかった。月に数回送...
教授、真夏の方程式で号泣す その5神戸編
- 2013/07/24
- 18:00
鞄ひとつだけを持って神戸空港に到着した教授は、タクシーに乗った。関西には空港が多すぎるという意見もあるが、結果的に利便性の高い空港が増えるのは、利用者からすれば喜ばしいことだ、と教授は思った。三宮までは時間にしておよそ15分、おそらく3000円以内で着くはずだ。教授はタクシーの後部座席から何度か後ろを振り向いた。追っ手はいないようだった。吉田が手荷物を探しているあいだに、こっちは手荷物をあきらめて急いで...
教授、真夏の方程式で号泣す その4再び機内編
- 2013/07/15
- 09:00
教授は羽田空港発千歳空港行きの飛行機の中にいた。けっきょく、大宮で映画「真夏の方程式」を観ることはなかった。滞在中に原作を読み終えることができなかったからである。飛行機が離陸したあと、教授は鞄から真夏の方程式の文庫本を取り出した。表紙を見ると、「悲しい話なんでね……」という山郎の声が蘇ってきた。本を開く前に教授は、山郎と他に何を話したのだったか思い出そうとしていた。*「最近、ブログのアクセスが減って...
教授、真夏の方程式で号泣す その3大宮編
- 2013/07/12
- 23:50
エージェントとの約束までにはまだ時間があった。時間があるといっても映画を一本観ることができるほどではないし、そもそも原作の読了がまだであった。教授は駅の西口からすぐ見えるアルシェに向かった。このビルの5Fに、今回の特殊任務と関係の深い組織であるHMVの事務所があるからである。この事務所は先月移転したばかりで、その前はロフトにあったと聞いている。ロフトの事務所を閉鎖する際には、我らがリーダーも駆けつけて...
教授、真夏の方程式で号泣す その2機内編
- 2013/07/12
- 12:00
教授は恐る恐る千歳空港の待合ロビー内に入った。そういえば昨年の松江行き、一昨年の松山行きの飛行機でも、かつて所属していた組織で見たことのある顔が同乗しており、危機感を募らせた。これ以上日本に潜伏するのも限界かもしれないとまで思ったほどである。地方都市行きの飛行機は便数が限られており、敵と同乗するはめになる確率が高くなる。できれば地方都市での特殊任務は避けたい、と教授は思った。それに比べて羽田便は複...
教授、真夏の方程式で号泣す その1千歳編
- 2013/07/12
- 09:00
「よりによってこのクソ暑いときに、もっとクソ暑いところへ行くはめになるとはな」と、スミルノフ教授はため息をついた。おりしも梅雨は例年より早く明け、すでに関東地方では猛暑日が続いているというニュースが毎日のように報道されていた。思い出されるのは20年ほど前の今ごろ、今年のような連日の猛暑のさなか、前橋に行ったときのことである。教授はそのとき真夏でもめったに25℃以上にはならない釧路に住んでいたこともあり...